舞踏家
大野一雄OHNO, Kazuo
おおの かずお、1906年 - 2010年
舞踏家。
10/10 (土)〜10/11 (日)に「渡辺晃一・大野一雄 《疾走する肌膚》」 上映
1906年10月27日、北海道函館生まれ。
1926年、日本体育会体操学校(現日本体育大学)に学ぶ。
同年12月、徴兵令により札幌歩兵第25連隊に入隊、1年4ヶ月の兵役に就いた。
1929年1月、スペイン舞踏の舞姫アントニア・メルセ(通称ラ・アルヘンティーナ)来日、帝国劇場の三階席で公演を見て深い感銘を受け、舞踊家の道に進んだ。
体育教師として神奈川県横浜市の捜真女学校に勤務する傍ら、1934年から「石井漠舞踊研究所」入門、ドイツ人舞踏家ハラルド・クロイツベルグに師事。
1936年, ドイツで マリー・ウィグマンにノイエタンツ(新舞踊)を学んだ江口隆哉と宮操子の舞踊研究所に入門。
1938年、太平洋戦争で召集を受け、戦中の九年間は、中国、ニューギニアで従軍、マノクワリで終戦、1年間の捕虜生活のあと復員。
1949年、東京の神田共立講堂で第1回目現代舞踊公演に舞踊家として活動再開。1960年代に土方巽と出会い、暗黒舞踏公演で共演。
1977年、独舞踏「ラ・アルヘンチーナ頌」を発表し注目を集めた。同年、舞踊批評家協会賞を受賞。
1980年、フランスの第14回ナンシー国際演劇祭に招聘。
1999年、イタリアで第1回「ミケランジェロ・アントニオーニ賞」を受賞。
100歳を超えても舞台に立ち続け、2000年に腰を痛めて立つことが困難になった後も生涯現役を貫く舞踏家として舞踏界に衝撃を与え続けた。
2001年にはイタリアのボローニャ大学内に大野一雄研究室開設。
2010年6月1日、呼吸不全のため横浜市内の病院で死去。103歳没。