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小峰城
奥州関門の名城と謳われた小峰城は、結城親朝が14世紀中頃に小峰ケ岡に築城し、江戸時代の初代藩主・丹羽長重が約4年の歳月をかけて完成(1632年)させた梯郭式の平山城です。1868年に戊辰戦争で城内建物の一部が
焼失し、平成3年に三重櫓、平成6年に前御門が歴史資料や発掘調査成果に基づき木造で復元されました。
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南湖公園・
南湖神社
1801年、白河藩主松平定信が築造した庭園。湖畔には桜、松、楓などが移植され四季折々の美しい風景を堪能できます。また南湖神社は定信を祀る南湖岸の社で、出世大明神、世直し大明神、繁昌の神として信仰され近年では、除災開運としても人気があります。
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共楽亭
松平定信が、南湖の築造終了後の享和年間(1801~03)に、もっとも眺めのよい鏡山の中腹に建てた茶亭。建物は、桁行4間(7.3m)、梁間2間(3.66m)の寄棟造りの
木造木羽葺(こばぶき)平屋建で、北側を除く三方に、下屋で幅三尺の切目縁を巡らせて、建物の北東隅は妻入り板扉付きの玄関としています。
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白河関跡
奥州三古関のひとつに数えられる「白河関」は奈良時代から平安時代頃に機能していた国境の関で、当時は人や物資の往来を取りしまりをしていたと考えられています。また一方、歌人・俳人が多くの歌や句を詠むことで、都の文化人たちの憧れの地となりました。
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旧脇本陣
柳屋旅館
蔵座敷
江戸時代、奥州街道沿いの本町には、大名や幕府の役人が宿泊する本陣・脇本陣が置かれており、戊辰戦争「白河口の戦い」の際には、脇本陣であった柳屋に新選組隊士が滞在しました。また、明治14年(1881)の明治
天皇巡幸の際には、蔵座敷が休憩所・宿泊所として使用されました。
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常宣寺
和泉式部が今の白河市表郷中野地区に庵を結び、阿弥陀三尊を安置したのがはじまりと伝えられます。永禄2年(1559)、白河の本町に移り、常宣寺と改めました。現在の地に移ったのは初代白河藩主丹羽長重の時代。22代逸誉白雲は松平定信に仕えて『集古十種』編さんに関わるなど、「画僧」として有名です。
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龍興寺
白河藩主本多忠義が明暦三年(1657)に建立した弁財天を安置する堂宇として開かれ、のちに黄檗宗になったと伝えられます。その後の白河藩主松平大和守家(入封:1692~1742)の帰依も受け、松平定信の養祖父松平定賢から「龍興寺」の寺号を与えられました。
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白河
ハリストス
正教会
大正4年に建てられたビザンチン様式の教会で、宗教画家山下りんの作品を含む油彩や石版画のイコノスタス(聖像画)が残されていることで有名です。屋根は銅板葺きで、外廻りは板壁に白色塗料で仕上げられています。全体的にはビザンチン様式の雰囲気を漂わせている建物となっています。